興福寺~国宝館の千手観音像にまつわるエピソードについて

奈良の興福寺国宝館で一番有名な仏像と言えば、やはり三面六臂のお姿が特徴の阿修羅像だと思います。

「仏像」という限られたジャンルではなく、「興福寺」というキーワードだけでも最初にそれを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。

ですが、古い時代から続いてきた古寺、興福寺で見るべき仏像はそれだけではありません。

今回は、阿修羅像と同じく興福寺の国宝館にある千手観音像についてご紹介します

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最初に確認、千手観音とは、どんなもの?

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基本的なこととして、千手観音とはどんなものかお話ししましょう。

まず、「千手」という文字から、ビジュアルは想像しやすいと思います。

阿修羅像の三面六臂どころでなく、数多の腕が像から伸びていますが、必ずしも実際に千本の手がある訳ではありません。

一般的なものは四十二臂で、その内の二本が胸の前で合掌をしており、他の四十が後ろで広げられている形です。

実はこの四十も意味があり、それぞれが二十五の世界を救うので、40×25──つまり千になると言われています。

また、お顔の方も一つでなく、十一面や二十七面などの像が存在しています。

非常に特徴的で珍しい像、という感じがしますが、実は日本ではかなり古い時代から信仰され、造られています。

興福寺の国宝館の千手観音以外にも、同じく奈良の唐招提寺や、京都の三十三間堂、清水寺など、国宝や重要文化財に指定された像も多く存在していますよ。

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普段は国宝館に。興福寺の千手観音像とは

さて、興福寺の千手観音像ですが、普段は国宝館(現在は耐震工事中)で拝観することができます。

阿修羅像がかつて西金堂にあったように、本来は別の場所にありました。

源平争乱の渦中に興福寺も巻き込まれ、南都焼討ちに遭った後の再興期、鎌倉時代のことです。

千手観音の像が置かれたのは興福寺の「食堂」──これは、「じきどう」と読みます。

とは言え、私たちが知る「食堂(しょくどう)」と意味は同じで、僧侶が食事をする場所でした。

ただ、そこに仏像が安置されている、というのが寺院ならではと言えますね。

「木造千手観音立像」として登録されるこの仏像、制作に四半世紀近くかかっています。

理由は当初携わっていた仏師が恐らくは途中で亡くなり、変更になったからだと想像されています。

まとめ

本来あった興福寺の食堂は明治の頭、廃仏毀釈に流れに飲まれて壊されることになりました。

実は、その食堂のあった位置に現在、国宝館が建てられています。

1959年に建設された鉄筋コンクリート造ですが、旧食堂を模した形になっているそうです。

千手観音像が安置されているのは、その中央。

耐震工事が終わって、拝観が再開された時には、是非見にいきたいですね。

今回は、見所の数多い興福寺国宝館の千手観音像について、ご案内しました

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