興福寺仏頭にまつわる文化についてご紹介します

先にも、何度か興福寺の国宝である仏頭の話題を取り上げて来ました。

軽くおさらいすると、興福寺仏頭はもとは東金堂のご本尊。

火災で頭部以外が失われ、新しいご本尊の台座に納められていたものが、昭和になって発見されて文化財として貴重なものとして国宝に認定され、現在に至ります。

そもそもは薬師如来で、東金堂に置かれたのは源平争乱時。

然し、造られたのがその時代という訳ではなく、実は興福寺造営よりも前に作られた仏像です。

今回は、興福寺仏頭の持つ文化財としての価値についてご紹介します。

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特別展も催された、興福寺仏頭

出典URL:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/img.photo-ac/f4/f4989a2b8e7bdd2d083fab4ffde09ad1_w.jpg

興福寺にある国宝の展示というと、国立博物館での阿修羅展が一番有名だと思います。

テレビなどでも大々的に特集されていたので、ご覧になった方もあるのではないでしょうか。

奈良の大寺院から、東京や福岡などに文化財が移されての展示は、とても嬉しい観覧の機会になりますよね。

実は、そのようなお寺の外での展示が、興福寺仏頭についても催されています。

2013年(平成25年)に東京藝術大学大学美術館において、「国宝 興福寺仏頭展」が催されました。

藝術大学の美術館、というだけで、仏頭の持つ美術品としての価値や、文化を感じさせてくれる気がしますね。

興福寺仏頭が展示された大学附属の美術館、博物館というのは、一瞬、学内の人間しか利用できないのだろうか、と考えてしまいますが、概ね一般の入館も可能になっています。

今後も、気になる特別展を見付けた時には、お出かけしてみたいですね。

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なんと興福寺以前の造立! 興福寺仏頭は白鳳文化の遺産

興福寺というのは、奈良時代、藤原不比等によって建てられたお寺ですから、寺内にあるものも、基本的に奈良時代以降のものです。

例えば、有名な阿修羅像も不比等よりやや後、娘であり、聖武天皇に嫁した光明皇后が立てた西金堂にあったものです。

つまり、「天平文化」の時代の作品になるのですが、興福寺仏頭はそれより以前のものなのです。

興福寺仏頭──そもそもは薬師如来像が造立されたのは、「白鳳文化」の時代。

安置されていたのは、奈良県桜井市にあった「山田寺」です。

実は興福寺が源平争乱の合間に焼討に遭い、再興の過程で、僧兵たちが奪って行ったと言われています。

白鳳らしい、やや童顔とも言うべきお顔の銅像は、数奇な運命を辿って、興福寺に至り、そして長い時代にわたって、台座の中で眠っていたのでした。

まとめ

興福寺仏頭は数奇な運命を経て、現在に至っています。

その場所の移動や、火災は勿論、二つのお寺の背景もまた、一つの歴史を語っていると思います。

山田寺は、そもそも、大化の改新で中大兄皇子側が付きつつも、直ぐにまた謀反の疑いをかけられて自殺することとなった、蘇我倉山田石川麻呂の立てたお寺。

それが、時代を経て、同じく大化の改新で登場し、以後長く栄華を極める藤原氏の祖、中臣鎌足の子である不比等が建てた興福寺に移るのですから、非常にドラマチックと言えるかもしれません。

その様な歴史的背景も感じつつ、訪れた時には仏頭に拝観したいものですね。

国宝館工事の絡みで、再び東金堂にて遷座している興福寺仏頭、時代と文化の流れを感じながら、拝観しにいきたいところです

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