興福寺の五重塔~歴史を学んで奈良観光をより楽しもう!

710年の平城遷都以来、奈良市に建てられた寺院というのは沢山あります。

勿論、長い時代の移り変わりの中で、動乱に巻き込まれたり、或いは火災にあったり、と再建を余儀なくされる場合も多いですが、それでも現代にまで残っているのは、それだけ歴史の中で重要な意味を持ち、また役割があったのではないかと思います。

奈良市内の寺院の中で、特に有名なのが奈良公園内に存在する東大寺、そして興福寺ではないでしょうか。

寺宝とも言うべき品々も多く、例えばこれまでにも何度も紹介してきた阿修羅像などが筆頭に挙げられると思います。

ですが、当然の如く、建造物にも貴重な価値があるのです。

その中の一つが、興福寺の五重塔。

今回は、長い歴史を持つ奈良市のシンボルの一つとも言える国宝、興福寺の五重塔についてご紹介します。

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奈良市観光で外せない、興福寺

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先ず、五重塔のみならず、興福寺そのものの歴史についておさらいしておきましょう。

興福寺の創建は当然ながら奈良時代、建てたのは、藤原不比等です。

日本史の教科書で言えば、不比等の父親の中臣鎌足の方がメジャーであり、また、藤原氏と言えば、平安時代になれば摂関政治と言えばこの人、ともいうべき、道長の名前が挙がると思いますが、不比等自身も、律令編纂に携わり、また自身の娘を天皇に嫁がせるなどして、権力を得ていました。

その証明ともいえるのが、前にもお話した興福寺の立地で、高台から都を望む位置にあることが、そのまま彼の権力を示していると言えます。

その後、平安末には朝廷を悩ませる僧兵達が暴れ、源平争乱の間には焼討ちに遭い、また更に明治期には神仏分離によって廃寺寸前となりながらも、現代に残ったのは、貴重な文化財を今も見る事ができる私たちには有難いことですね。

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再建五度! 歴史の中を生きた興福寺の五重塔

さて、では、今回のメイン、興福寺の五重塔についてご紹介しましょう。

最初に建てられたのは奈良時代、不比等の娘にして聖武天皇の后となった光明皇后の発願によるものでした。

創建当時の高さは凡そ45メートル、当時は日本で一番高い塔でした。

無論皇后の発願というのもあるでしょうが、ここにも藤原氏の威光が感じられる気がしますね。

ただ、それが今もなお残っている訳ではなく、何とその後、五度の焼失、再建を経ています。

現在残っているのは、室町時代、応永年間に建てられたもので、高さは50.1メートル。

木造の塔としては京都、東寺の五重塔(54.8メートル)に次ぐ二番目の高さを誇る、長い歴史を生き抜いた塔なのです。

まとめ

今回は、歴史深い奈良のシンボルの一つとも言える、興福寺の五重塔についてお話してきました

奈良市の観光において外す事の出来ない奈良公園。

東大寺や、春日大社を始め、どちらを見ても有名な社寺の中、興福寺で一際高くそびえる木造の塔にも、是非ご注目くださいね。

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