當麻寺の南門には謎があった!どんなミステリーなの?

タイトルにある「當麻寺」、先ずこれをどう読むのかと迷う人もいるのではないでしょうか。

「常」にも「富」にも似ている最初の一字「當」は、「当」の旧字体です。

となると「とうまじ」と読みたくなりますが、それも不正解で、答えは「たいまでら」。

「てら」というのも珍しいですね。

実は當麻寺の名の方が有名だからで、別に「二上山禅林寺」という山号をつけた名前も存在しています。

こういった二つの呼び名を持つ寺院は他にも例があり、他には同じく奈良の飛鳥寺(法興寺)や、滋賀県の三井寺(園城寺)などが有名です。

さて、この當麻寺について、2014年1月頃に放映されたCMがあります。

JR東海が展開する奈良を案内するシリーズの一つで、美しい映像に合わせ、ナレーションがとても興味深い謎を三つ、挙げていくものです。

──何故、二上山の麓に、極楽浄土を作ったのか

──何故、この寺の本尊は、曼荼羅なのか

──何故、この伽藍から、南門は消えたのか

さほど寺院に詳しくなくとも、「秘密がある」となると、何やら気になってしまいますよね。

と言う訳で今回は、「何故二上山に」「何故曼荼羅を」「何故南門が」という當麻寺の三つの謎に迫っていこうと思います

先ずは成り立ちを知ろう、當麻寺の基本情報とまつわる伝説

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出典URL:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/Taimadera_hondo.jpg/250px-Taimadera_hondo.jpg

當麻寺はその名の通り、奈良県葛城市の當間にあります。

創建されたのは七世紀、推古天皇の頃に聖徳太子の異母弟、麻呂古王が河内(大阪)に創立したものを、孫の当麻国見が今の地に遷したと伝えられています。

実は創建当時のご本尊は弥勒仏で、金堂にまつられていました。

因みに曼荼羅が祀られているのは當麻寺の本堂で、また、奈良~平安初期に作られた東西二基の三重塔があります。

江戸期以前に建てられた二基が残る寺院は日本では當麻寺だけなのだそうですよ。

現在のご本尊となっている曼荼羅が作られたとされるのは、763年。

織ったのは中将姫という藤原氏の女性です。

この中将姫の物語は歌舞伎をはじめとする伝統芸能の演目にもなっているので、「あれか」と気付く方もあるかも知れませんね。簡単にですが、あらすじをご紹介します。

中将姫の父親は、藤原豊成。

藤原南家の祖である藤原武智麻呂の長男です。

簡単に示すと「鎌足─不比等─武智麻呂─豊成─中将姫」という感じですね。

美しく聡明だった中将姫ですが、幼い時に生母を亡くし、その後は継母に苛められ、遂には命さえ狙われます。

しかし、殺害を命じられた者が、信心深い姫の姿に心を打たれて刀を振るうことが出来ません。

結果、命は落とさずに雲雀山の地で隠れ暮らす事となり、後に父と再会し、都に戻る事になります。

変わらず深い信仰心を持った姫は、やがて當麻寺にて出家します。一心に祈る姿に、御仏が与えたお告げは「蓮の茎から糸をとって曼陀羅を織るように」というものでした。

果たして、取った糸を井戸に浸すとなんと五色に染め上がります。

その糸を用いて姫が一晩で織り上げた曼荼羅が、現在のご本尊である「當麻曼荼羅」となるのでした。

中将姫が出家し、曼荼羅を織ったのは17歳の時。

その後、29歳の時に生きながら西方浄土に迎えられたと伝えられています。

「二上山・曼荼羅・南門」──當麻寺の三つの謎の答え

では、テレビCMで流れていた、當麻寺の三つの謎に順に答えていくことにしましょう。

──何故、二上山の麓に極楽浄土を作ったのか

これは、立地が一番の理由と言えます。

二上山があるのは奈良県の「西方」。上の中将姫のお話にも「西方」の語がありました。

姫が最後に生きながらに向かったとされる場所、「西方浄土」です。

二上山とは名の如く、二つの山頂がある双耳峰。その二つの間に夕陽が沈む神秘的な光景から、古代の奈良の人々は山の向こうをあの世と位置付けました。ならば、その麓は境界線。それ故に極楽への往生を願う信仰の場となっていったのです。

──何故、この寺の本尊は、曼荼羅なのか

極楽浄土の入口とも解される當麻寺のご本尊です。

やはり、相応しい理由がありました。

そもそも日本の曼荼羅は仏教の世界観を描いたものと解釈されており、その中で幾つかの区別がつけられています。

當麻曼荼羅は「浄土曼荼羅」に属し、その名の通り阿弥陀如来がいらっしゃる西方極楽浄土を描いたものです。

高野山真言宗と浄土宗が並立している當麻寺。

後者、浄土宗は念仏によって極楽往生を願う宗派ですから、祈りの対象が信心深い姫の織り上げた曼荼羅に向かうのは非常に理に適っていると言えますね。

──何故、この伽藍から、南門は消えたのか

中学・高校時代に日本史の授業で寺院の伽藍配置を覚えた人もあるかと思います。

法隆寺、四天王寺、飛鳥寺、薬師寺……その、どれも一番下にあるのは、「南大門」です。

南大門は日本寺院では正門、そう言えば、金剛力士像が有名な東大寺の正門も南大門ですね。

ですが、當麻寺に南門はないのです。

何処が正門かというと──「東大門」です。

何故に東か、その謎の答えも上の二つの問いを考えれば自ずと見つかってきます。

東にある門をくぐれば、向かうのは当然、西になるからです。

実は、當麻寺の創建当時は南北のラインを基本とした伽藍配置だったと想像されています。

金堂や講堂をは南を向いているからです。

それが、曼荼羅のある本堂は、東に面している。信仰の変化が、伽藍の向きさえも変え、もしかしたらあった筈の南門も消してしまったのかも知れません。

まとめ

今回は、奈良の西方、二上山の麓にて、美しくも信心深い姫が織り上げた曼荼羅をご本尊とし、あってしかるべき南門のない、そんな謎めいた當麻寺についてご紹介しました。

最後の南門については、実は存在していたのが事情でなくなったのか、或いは、そもそも作られなかったのか、この謎の答えは正確には分かっていません。

遺構なども見つかっていないのだそうです。

地理的な問題で南門は初めからなかった可能性もあるんですね。

ただ、古来より太陽のはいる山の向こうを「あの世」と捉える思想がありました。

さらに鎌倉期に入ってうまれ発展した浄土教の教えが、往生をねがう場としての現世の極楽浄土、當麻寺への信仰をあつくしていったのは間違いないように思えます。

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